
こんばんは!
着々と1Dayレッスンの準備が進んでいて、少しずつ緊張してきたタロット占い師の一宮ゆりです。笑
おおまかな講座内容は決まって、あとは時間配分。
解説の時間とカードを触っていただく時間とのバランスが難しいです。
でも、あーでもないこーでもないって考えてる時間も楽しいから、ギリギリまで試行錯誤していきたいと思ってます(*^^*)
では本題です。
まずはサロンの夏休みのお知らせから。
夏季休業日
2025年8月13日(水)~8月16日(土)
誠に勝手ながら、上記の期間を冬季休業日とさせていただきます。
期間中もご予約やお問い合わせに関しては、通常通り対応させていただきますので遠慮なくご連絡くださいませ。ご不便をお掛けしますが、よろしくお願いいたします(*_ _)
なお、17日(日)は占いのアリーナ様に通常通り出演いたします。
そして今回は、対面鑑定でお世話になり始めてからよく話題になる質問に対して、お答えできればと思います。
タロットと出会ったきっかけや、夫のセラとのYouTubeラジオも非表示にしているからか、対面では一から説明することが多くて一度まとめて書いておこうかなと。
一宮の過去なんて興味ないよって方はそのままスルーでお願いいたします。笑
それではいきましょう!
よく聞かれる6つの質問にお答えします。

Q1.夫(セラ)との交際は本当に中学生からなの?

A.Yes
中学1年生の入学式に隣の席になって、中学2年生でお付き合いが始まりました。
画像は左が中学生、右が高校生。
ザ・反抗期&加工のないプリクラに時代を感じる。笑
セラは高校時代ファンクラブがあったり、友人の数が恐ろしく多かったので、会うのも一苦労でした( ;∀;)
マンガみたいな真面目陰キャとコミュ力オバケの組み合わせで、特に私は高校生でお化粧を覚えセラとのお付き合いでコミュ力を学び、イメージが大きく変わりました。私の父に十円ハゲがいっぱいできたのもこの頃だったな。笑
当時も占いが大好きで、ボーリング場やショッピングモールのアーケードゲームで占いを見つけては、なけなしの500円玉を消費してたな。
※サユリ、ナオキは私達の本名です
Q2.学生時代にイギリスに行ったって本当?

A.Yes
中学1年生の夏休みの間、イギリス人のデール先生が引率してくださって、語学留学(という名の旅行)に行きました。
そこでタロットに出会って、帰りの空港で書店に駆け込みカードと解説書がセットになった本を購入したのが始まりです。
イギリスとフランスの名所を回って重厚な歴史を肌で感じられたことは、本当に幸運でしたし、タロットとのご縁を強く感じた体験でもありました。
英語はほとんど身につかなかったけど。笑
絵は当時絶大な人気を誇っていたレオナルド・ディカプリオ様。路上で絵を描く人が多く刺激を受け、スケッチブックを現地で購入し1日の終わりに描いてました。
堀の深い男性が好きとか、テディベアをお土産に購入したら収集にハマったり、アンティーク好きなど、タロット以外にも多くの趣味趣向が定まった旅だったな。
Q3.観光地でトンボ玉のインストラクターをしてた?


A.Yes
この頃の写真を見るとどうしても泣けてくる。私の命の恩人でもあり、バーナーワークの素晴らしさを教えてくださったガラス蔵の社長やご家族様、全国から集まった仲間たち。
23歳の頃、草津温泉で寮生活をしながら、トンボ玉のインストラクターをしていました。毎日が本当に刺激的で、集団の中では端っこに行きがちな私をいつも皆さんは気にかけてくださいました。ポチたまに出演したり、雑誌に制作の様子を載せていただけて、貴重な経験ばかりでした。
「でんこ」は私の蔵でのあだ名です。笑
苦境の中、新聞の求人募集の切れ端を片手に藁をも掴む思いで連絡したとき、社長は「今すぐおいで」って言ってくれて。バックひとつ抱えて飛び込んだ私を、家族同然に可愛がっていただいたこと、一生忘れません。
Q4.アパレルの店長をしてたって本当?


A.Yes
初めてのアパレル経験は、高崎の高島屋に入っていたTAKEOKIKUCHIに就職したのが始まりです。服飾のイロハや百貨店での立ち居振る舞い、接客テクニックなど、徹底的に叩き込まれました。
その後、同じ高崎のスズラン百貨店に入っていたPARSONS、熊谷の八木橋百貨店でPARSONSからギャラリー・ビスコンティへ。30歳前後は結婚出産子育てでアパレルから離れていましたが、33歳でスズラン百貨店のビスコンティに復帰。最初のTAKEO以外は全て店長をしてました。
自撮りは新作の組み合わせ提案など、会社に送るための写真が数枚残っていたもの。特に左上の写真は事故前日に撮影してました( ;∀;)今気づいた…
息子もよく遊びに来ていて、売り場の皆さんにも可愛がっていただいて。
とても貴く愛すべき職場でした。
Q5.ハンドメイドのクリエイターをしていた?

A.Yes
息子がまだオムツをはいていた頃、母の職場の目の前にオープンしたハンドメイドショップのOnyva!さんを紹介され、私も何か作ってみようと羊毛フェルトや木の実を使ったトロッケンクランツ、革小物、木工などオーナーのもとでお店番をしながら自由に活動させていただいてました。
藤岡みかぼ未来館、鬼石多目的ホールなどイベントの主催もお手伝いして、多くの経験をさせていただきました。
たくさんのクリエイターさんと繋がって、個人事業の厳しさややりがいも肌で感じることができました。ブログやSNS、お店作りに至るまで、この頃に学んだことがサロンにも役立っていて、オーナーの高田さんとご縁をいただけたこと、本当に幸運だったと思います。
Q6.事故にあって占い師に転身したのは本当?

A.Yes
出勤時に階段から落ちて足首が重度の脱臼複雑骨折となり、折りどころが悪く難しい手術だったらしく術後6か月間のリハビリ生活に強制突入となりました。写真お目汚しすみません&適正体重だったこの頃に戻りたい。
緊急入院になって3夜連続で大号泣( ;∀;)
夜勤の看護師さんが手を握って励ましてくれて、4日目の朝にはご飯をモリモリ食べてました。笑
ビスコンティの社長は回復するまで店長のポジションは空けて待ってるって言ってくださったけど、翌年には2回目の手術も控えていてご迷惑になると判断し退社。
わざわざ大阪から自宅までお見舞いにきてくれた松本支社長は、今でも私のヒーローです。
病院でタロットと戯れていたら患者さんや看護師さんを占うことになり、皆さんとの温かいコミュニケーションのお陰で気持ちもすっかり前向きに。自分を卑下することなく占い師の道へ踏み出せるよう、皆さんに背中を押していただきました。
HPの開設や開業もベッドの上でやったんだよね。本当に人生何があるかわからないけど、楽天的でいられたのは、家族や周囲の方たちの励ましのお陰です。ありがとうございます(*_ _)
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
「今が一番楽しい」
そう思える瞬間が、何度も何度も訪れてきた人生でした。
それと同じくらい、「今が一番苦しい」と思う瞬間の連続でもありました。
思い返せば全ての経験がかけがえのない学びとなり、今の私を支えてくれています。
この他にも単発のバイトやスーパー、コンビニのパートなど、その時々にご縁をいただいた方が、今でもサロンのお客様になってくださっています。
ふぅ。
最近は未来志向で過ごしていたので、ちょっと立ち止まって過去に目を向ける良い機会になってよかった。
これでしばらくは自分のこと詳しく話さなくても「この記事読んでみて」とお伝えすれば大体伝わるかしら。だいぶ長文だけど。笑
また明日から、前だけ見て走ります(*^^*)
ではでは。